「荷風のこだわり」(東理夫)
今晩の日経夕刊に東理夫が書い ている:
酒や食べ物や服装などに意見を持っていた荷風も、最晩年は丸めがねにヨレヨレの洋服、それに下駄ばき で、しかもほとんど毎日、並のカツ丼と上新香とお酒一合をくり返し食べている。まるで、別人のようだ、と書いたところで、実は荷風のこだわりは方向性が変 わっただけで、少しも弱まっていないことに気づかされた。そうかな。散人はそう思わない。
「グラスの縁から」と題する東 理夫の連続コラムである。この方の美食とお酒へのこだわりは相当のもので、いつも感心して読ませていただいているが、今晩の荷風についてのくだりはいただ けない。荷風は美食へのこだわりは持っていなかったと思うからである。
たしかに荷風は美食についての蘊蓄を傾けたことはあ る。しかしそれは「物まね文化でしかない明治大正の日本の美食文化への痛烈な風刺」という側面が強いのである。明治の皮相的な近代化文化は、もったいぶっ てカッコウ付けだけをしているが、お前らのやっていることはしょせん底が浅い物まねでしかないよと言いたかったのだ。実際の荷風は実食への関心は全くな かった(と言っていいと思う)。だから京成八幡駅前の大黒家の「甘くてべちゃべちゃする」カツ丼もものとはしなかった。栄養さえあればどうでもよかったの である。
これは荷風がサムライ家庭において教育を受けたこと と、自分で経験した最初の外国生活がアメリカ、それも西海岸であったことと関係があるように思える。美食にこだわった谷崎潤一郎と根本的に異なる点かも知 れない。
これは悲しいことであろうか。散人も実は長くそう思っ てきた。でも昨今の日本のグルメ文化の蔓延を見るにつけだんだん荷風の方が正しいと思うようになった。物知り顔で美食を語る文化人の文章を見るにつけ、荷 風のように「知ったかぶりしてカッコウつけるんじゃないよ」と毒づきたくなることもある。荷風の時代から半世紀が経過しているが、日本の「背伸び(こだわ り)文化」は大して変化していないと感じる。
食い物のスタイルにこだわるのは、カッコウが悪い。荷 風はカッコウの悪さを第一に嫌ったのである。
たしかに荷風は美食についての蘊蓄を傾けたことはあ る。しかしそれは「物まね文化でしかない明治大正の日本の美食文化への痛烈な風刺」という側面が強いのである。明治の皮相的な近代化文化は、もったいぶっ てカッコウ付けだけをしているが、お前らのやっていることはしょせん底が浅い物まねでしかないよと言いたかったのだ。実際の荷風は実食への関心は全くな かった(と言っていいと思う)。だから京成八幡駅前の大黒家の「甘くてべちゃべちゃする」カツ丼もものとはしなかった。栄養さえあればどうでもよかったの である。
これは荷風がサムライ家庭において教育を受けたこと と、自分で経験した最初の外国生活がアメリカ、それも西海岸であったことと関係があるように思える。美食にこだわった谷崎潤一郎と根本的に異なる点かも知 れない。
これは悲しいことであろうか。散人も実は長くそう思っ てきた。でも昨今の日本のグルメ文化の蔓延を見るにつけだんだん荷風の方が正しいと思うようになった。物知り顔で美食を語る文化人の文章を見るにつけ、荷 風のように「知ったかぶりしてカッコウつけるんじゃないよ」と毒づきたくなることもある。荷風の時代から半世紀が経過しているが、日本の「背伸び(こだわ り)文化」は大して変化していないと感じる。
食い物のスタイルにこだわるのは、カッコウが悪い。荷 風はカッコウの悪さを第一に嫌ったのである。
Posted: Sat - February 21, 2004 at 10:22 PM Letter from Yochomachi 永井荷風 Comments (5)